アウシュヴィッツ以前から詩は野蛮だった。
日常の辛く悲しい現実を回避するため、太古から人間は、共同体意識を高めるために神や霊を用い、あらゆる方法で「トランス」(催眠状態)を引き起こさせ、それを祀ることで束の間の慰めとする儀式を行った。声とリズムで音を鳴らしてダンスを踊り、その過程で言葉や絵も組み入られていった。
…と仮説をたてるなら、いったいトランスとは何か。
生命というのは、共同体が組織化されていく過程で「分かつ」というプロセスをくぐり抜けなければ「分かち合う」ことさえ出来ない、と私は考えている。
共同体というのはひとつのつながりであり、ひとつの肉ではない。
近代以降、大量殺戮が可能となり、また体験し、既成の共同体というものが幻想であることを知った。そしてそのことを思い知らされてきたからこそ、現代の芸術は孤高と孤独を慰みとして、芸術で幻想を共有してきた…と私は考えてきたのだが、今現在「野蛮」と「生命力」の質とバランスについて考えさせられる作品が随分と衰退してしまったように思われる…慢性的なトランスが続いている。
まだ戦争は至るところで続いているのにも関わらず。
Anselm Kiefer "Princess of Siberia"
